富松神社 (とまつじんじゃ)

主祭神 須佐男命(すさのおのみこと)・応神天皇(おうじんてんのう)

例祭日 10月10日(神賑行事は10月体育の日前日)

鎮座地 富松町2丁目23-1(TEL 06-6421-5830)

>>> 富松神社ホームページ(外部リンク)

≪お社の説明・御由緒≫

富松神社は、約1250年前に僧の行基が人々を指導して、猪名野笹原を開拓し、稲作を進めるとともに、富松の里の守り神として神様と仏様をおまつりしたのが始まりと伝えられています。

 平安時代には藤原摂関家の荘園を守る鎮守の社でした。戦国時代には数度の兵火にかかり社殿や堂塔は焼失し、面影はとどめませんが、樹木などに微かに昔時が偲ばれます。江戸時代に至り、尼崎藩主松平遠江守公厄災除祈願所として特別の庇護を受け盛況を誇りました。大東亜戦争敗戦後は社会変化により神社の基盤は崩れましたが、人々のふるさと富松への信仰心は途切れることなく、里の人々に大切にされ、今日も神様への感謝のお祭りが続いています。 御本殿は1636年に再建されたもので、昭和43年に兵庫県重要文化財に指定されました。 境内の大きな楠は樹齢500年と言われています。

宮司さんのおはなし
境内の中央に建てられた「舞殿(まいどの)」では7月26日の富松薪能、2月3日の節分祭などの行事が行われます。拝殿脇の大きな絵馬は地元の団体(富松城跡を活かすまちづくり委員会)が毎年作成、奉納し、その様子は毎年、新聞に取り上げられています。

富松神社本殿(兵庫県指定文化財:建造物)

富松神社 本殿

昭和43年3月29日 指定

当社所蔵の「福松寺記録」には、「牛頭天王棟札」とあり、
新造社 寛永十三丙子林鐘
安永六酉迄百四十四年ニナル
社師  良雄
大工
久左衛門

と写記されていて、寛永13年(1636)に社師良雄が再建したことがわかる。その後承応2年(1686)、寛文11年(1671)、承享3年(1686)等、数回の修理を経て今日に至っている。
昭和41年に造営された覆屋内にある。一間社春日造り、柿葺である。正面の扉や縁まわりに後補の後がみられるが、そのほかはよく保存されている。組物(三ツ斗組)、蟇股などは極彩色で、壁には絵画が施されている。

背面に突き出る頭貫木鼻は象鼻としており珍しい。屋根は箱棟をおくのみで、千木・勝男木は飾らない。全体的にわたり江戸初期の華麗な桃山文化の特徴をよく伝えている。

富松神社 おまつり

富松神社 節分祭

歳旦祭・能「翁」面掛け式(1月1日 祭典10時 面掛け式10時30分~45分)

 

とんど行事(1月15日 午前8時~午後4時まで)

 

節分祭(2月3日 午後7時から20分程度で終了)

星空の下、大勢の子ども達と家族がそろって節分豆まき行事に参加し、春のおとずれをお祝いします。豆まき行事の後、富松の鬼「茨木童子」が太鼓と掛け声の中、町内をねり歩きます。

 

富松一寸豆祭(5月中旬の土曜日 午後1時から4時頃)

豊かな富松の土地にできる一寸ほどの大きなそら豆は明治時代からの特産品で、栄養満点で美味しいと評判です。収穫祭を行い、境内で一寸豆の塩ゆで等の試食会、一寸豆の即売会やたこ焼き、わた菓子などの出店や豆飛ばしコンテストなどのゲームで大変賑います。

 

富松薪能(7月26日 午後5時から9時頃)

地域の能楽師 山村啓雄先生の御協力により例年7月26日夕刻より開演し、解りやすい説明もまじえ、誰でも楽しめます。思わず声を出して笑ってしまう狂言や尼崎こども能楽教室の小中学生の子ども達による仕舞も必見です。

 

秋季例祭(祭典・お神楽10月10日・神賑行事 体育の日前日)
祭典後には大神楽の奉納が行われ、各家庭の安全と地域の安寧をお祈りします。神賑わい行事では子ども神車の曳行や提灯の大規模献灯、地域の団体らが協力して模擬店も出店され、猪名野笹原発祥のとまつ麦わら音頭の奉納など、年を重ねる毎に地域が一体となった賑わいをみせています。

富松一寸豆祭富松薪能秋季例大祭

交通案内

富松神社 交通案内

鎮座地:富松町2丁目23-1(TEL 06-6421-5830)

阪急武庫之荘駅から市バス路線番号48番乗車

阪急塚口駅から市バス路線番号30・31番乗車

JR立花駅から市バス路線番号30番乗車

いずれもバス停「尼崎北小学校前」下車 西へすぐ
駐車場:約10台(但しお祭・行事の日は駐車不可能)


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>>> 尼崎市交通局 市バス路線図(外部リンク)