尼崎市内の神さま紹介

神さまのご性格やご活躍によってご神徳も様々ですが、それぞれ地域に住む人々を守って下さる氏神(うじがみ)さまです。
おまつりされている氏神さまを知れば、参拝の際に一層の敬意と親しみが増すことでしょう。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

主な御神徳:国土安泰・産業繁栄・福徳・開運・勝運 等

天照大神(大日孁命・おおひるめのみこと)は皇室の祖先神で、太陽の神様として日本の神様の代表的な神様です。伊邪那岐命が、死んでしまった妻の伊邪那美命を黄泉の国から連れ戻そうとし、失敗して逃げ帰り、水で「死の穢れ」を洗い流した時に、光と共に美しい女神が生まれました。その時、光が天地いっぱいに輝いたので、伊邪那岐命は「天照大神」と名付け、神様の国である高天原を統治するよう命じたのです。天照大神は田畑を拓き、養蚕・織物などを授け、高天原は大変平和でした。しかし乱暴者の弟、須佐之男命が田畑を荒らし、機織り小屋に火を放って大暴れします。それを嘆き悲しんだ天照大神は「天の岩戸」という洞窟に籠り、大きな岩で穴を塞いでしまいます。太陽の神様がいなくなった高天原は真っ暗な世界になり、神様達は困り果ててしまいます。そこで神様達は力を合わせて賑やかに「お祭り」をして、外の様子を窺いに出てきた天照大神を洞窟から引き出し、再び高天原は明るい豊かな国になりました。 これらの神話のエピソードから、「太陽の恵」を古来から大切にしてきた日本の精神がうかがえます。日本人の主食は古来から「お米」でした。稲も「太陽の恵」によって生育するわけですから、日本人が天照大神に最も尊敬の気持ちを持ち続けるのもうなずけますね。

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

主な御神徳:産業繁栄・家内安全・子孫繁栄・交通安全・厄除開運・出世・合格 等

天児屋根命は神様の国である高天原で、天照大神に仕えて、主に「祭祀」を担当された神様です。天照大神が須佐之男命の乱暴に嘆き悲しんで、「天の岩戸」という洞窟に籠られた時に、天児屋根命を始め神様達は、どうにか太陽の神様である天照大神に洞窟から出て頂こうと洞窟の前で「お祭り」をします。天児屋根命は自慢の美声でお祭りの「祝詞(のりと)」を奏し、神様達は踊り歌い、その賑やかな様子を覗おうとしたところを洞窟から引き出され、再び高天原は明るい豊かな国に戻ったという神話のエピソードがあります。

その後も天照大神の孫(ニニギノミコト)が神様の国から葦原之中津国(今の日本)へと降臨される際にも従い、国土経営に大きく貢献されましたが、降臨後も「祭祀」を執り行う任務は天児屋根命が担当しました。

お祭りの「祝詞」を奏したり、「祭祀」を執り行う姿は今の神主さんの原形と言えるでしょう。

天之手力男命(あめのたぢからおのみこと)

主な御神徳: 等

 

生國魂大神(いくくにたまのおおかみ)

主な御神徳:生成発展・五穀豊穣・健康長寿・縁むすび・社運隆昌・家内安全 等

生島神・足島神は、生國魂大神・咲國魂大神ともいわれ、伊邪那岐・伊邪奈美命の御子で、大八洲(おおやしま/日本の国土)の御霊です。
大地ならびに大地に生命の営みをつづけている一切を守護される神さまです。
ご祭神の「生」(いく)という意味は、生成、進歩、完成ということをまた「足」(たる)という意味は充実、繁栄、発展という意味だそうです。
この大地に生を受けているあらゆるものの生命を御統括される「生成発展」「具足円満」の御神徳があります。

伊狭城入彦尊(いさぎいりひこのみこと)

主な御神徳:厄除開運・家内安全 等

伊狹城入彦尊は景行天皇代10皇子で、武勇に大変優れ、お兄さんの日本武尊(熱田神宮御祭神)と共に諸国を平定された。兄、日本武尊に勝るとも劣らない英知の大神と称えられ、国土の守護神としてお祀りされています。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなぎのみこと)

主な御神徳:国家安泰・子孫繁栄・家内安全 等

伊邪那(イザナ)は「誘う」の意味で、岐は「男」、美は「女」という意味を表しています。天地が創造された後に、伊邪那岐命と伊邪那美命がお生まれになり、夫婦で協力して、風、木、山、野の神様を次々と生み出しました。しかし、最後に火の神様を生んだ時に、伊邪那美命は火傷を負い死んでしまいます。伊邪那岐命が妻の死を嘆き、妻の伊邪那美命を連れ戻すために死者の国である「黄泉国」へ赴きます。しかし、既に伊邪那美命は死者の国の住人となり、変わり果てた姿に…。伊邪那岐命は諦めて黄泉国から逃げ帰ります。そして、「死」の穢れを水で洗い流し、その際に生まれた神様が「天照大神」「月読命」「須佐男命」の兄弟です。伊邪那岐命はこの尊い子供達に国土経営は任せて、この世界の行く末を見守りました。

この伊邪那岐・伊邪那美の神話から、「夫婦のあり方」「死者との別れ」「火の恐ろしさ」「世代の交代」等、色々なことが読み取れます。神様は神話を通じて、我々に見本を示して下さっているかのようですね。

伊邪那岐命・伊邪那美命はその神話のご活躍から、国土安泰、子孫繁栄、家内安全、五穀豊穣など多彩な御神徳があり、人々の信仰を集めています。

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・宗像大神(むなかたおおかみ)

主な御神徳:交通安全・五穀豊穣・芸事上達・安産 等

市杵島姫命は三姉妹の真ん中の女神様です。御神名の市杵島(いちきしま)は「神の霊で斎き祀る島」という意味。この美女三姉妹はの生みの親は須佐男命で、須佐男命が母の伊邪那美命が恋しくて泣いてばかりいたで、父の伊邪那岐命が国外追放にしてしまいました。すると須佐男命は、姉の天照大神にお別れの挨拶をしようと高天原に向かったところ、天照大神は神様の中で最も暴れ者の須佐男命のことだから、良からぬ事を考えているに違いないと疑います。須佐男命は潔白を示す為に誓約を行います。「潔白なら須佐男命が持っていた剣から、女神が生まれる筈です」と天照大神に言われ、剣を差し出し、3つに折って、水ですすいで、口に入れて吹き出すと、なんと美しい三柱の女神が生まれた。中でもその美しさが抜きん出ていたのが市杵島姫命でした。そのため、七福神の弁天様に見立てられているわけです。

市杵島姫命を始めこの三姉妹の女神様は海の神様、主に航海安全を守る神様で、弁天様としての御神徳は芸事上達、安産、女性の守護があります。【宗像大神・・・古事記:多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)・多岐都比売命(たぎつひめのみこと) 日本書紀:田心姫命(たごりひめ)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)】

余談ですが、この誓約で身の潔白を証明したにも関わらず、須佐男命は高天原で大暴れしてしまい、結局高天原からも追放されてしまいます。

磐長姫命(いわながひめのみこと)

主な御神徳:健康長寿 縁結び 等

 『古事記』では石長比売、『日本書紀』では磐長姫と表記され、天照大神の孫の瓊瓊杵尊のもとに妹の木花咲耶姫とともに嫁がれるが、磐長姫は醜かったことから、山の神である父神の大山津見神のもとへ送り返されてしまいました。
大山津見神は「磐長姫を差し上げたのは、岩のように永遠に子孫が長命であるように、木花咲耶姫は木の花(桜)のように美しく繁栄するように誓って差し上げました。磐長姫をお返しになったので、天孫の寿命は桜の花のように、はかないものになるでしょう。」
と瓊瓊杵尊に申され、それによって今に至るまで天孫の寿命は短くなったという神話のストーリーがあります。
この神話の中での父神 大山津見神のお言葉から「健康長寿」、また失恋の痛みをご存知の姫神様ですので「縁結び」のご利益があると云われています。

倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・保食命(うけもちのみこと)・豊受毘売命(とようけひめのみこと)・稲荷大神

主な御神徳:商売繁盛・家内安全・交通安全・災難除け・子孫繁栄・出世・合格・芸事上達 等

倉稲魂命は保食命、豊受毘売命と同一の神様とされていて、共通する点はいずれも「穀物」を司る神様で、特に「稲の精霊」として信仰されています。全国の稲荷神社の御祭神なのですが、「稲荷(いなり)」は「稲生り(いねなり)」が転化したものと考えられています。神話には御神名によって、微妙に違うエピソードになっていますが、『日本書紀』では、保食命のところへ訪問した月読命をおもてなししようとした保食命は口から色々な食べ物を出した為に、月読命は「けがらわしい」と怒ってしまい、保食命を斬り殺してしまいます。(『古事記』では須佐男命が斬り殺しています。)後にその死体は粟・稲・稗・麦・大豆・小豆・牛・馬・蚕などになり、これが穀物の種子の始まりとされています。

特に稲は、日本人にとって大切な食物で、豊かさはお米の量で決まっていました。その為、豊作の神様であった稲荷の神様が商売繁盛の神様として各地にお祀りされるようになりました。

応神天皇(おうじんてんのう)・誉田別命(ほんだわけのみこと)・八幡大神(はちまんおおかみ)

主な御神徳:家内安全 交通安全 厄除開運 航海漁業安全 安産 受験祈願 勝運 長寿 等

誉田別命(応神天皇)は文学、織物、裁縫、鍛冶、造船など、積極的に外国の技術を取り入れられ、日本の産業を大きく発展させました。さらに『古事記』では130歳、『日本書紀』では110歳というご長寿であったと記されています。
そのご活躍ぶりが後世に伝えられ、特に国家の守護神として尊敬されてきました。
また、源氏の氏神(ご先祖の神様)として、古来より武家の篤い信仰を集め、各地におまつりされるようになりました。
尼崎市では66社の内、12の神社でおまつりされています。

大國主神(おおくにぬしのかみ)

主な御神徳:五穀豊穣・農業漁業守護・交通安全・学業成就・厄除開運・勝運・縁結び・安産・病気平癒 等

国作りの神。修理固成(つくりかためなす)神。神名によっても「偉大な国の王」の意味を読み取れる。少彦名神(すくなひこなのかみ)と二柱(ふたはしら。神々は、ひとはしら、ふたはしらと数える)で国を成した。様々な異名によっても神話が語られ、医薬、禁厭、武力、求婚、夫婦和合、国作り、国譲り、幽事(かくりごと)治める神などとして読み取られる。
  後の習合思想では、大國を、だいこく、とも読めることと信仰の類似から、インド発祥、中国で利福の神とされた大黒天と同一視された。

大物主神(おおものぬしのかみ)

主な御神徳:五穀豊穣・農業漁業守護・交通安全・学業成就・厄除開運・勝運・縁結び・安産・病気平癒 等

 大國主神の項参照。大國主神と同一神とされる。大國主神は少彦名神と共に国作りをなしたが、少彦名神が去って後、いかに国作りを続けるか愁う大國主神のもとに光とともに海から現れ、共に作り成そうと語りかける。『日本書紀』一書では、何者かと問う大國主神に対し「汝の奇霊、幸霊」と答える。奇霊(くしみたま)、幸霊(さきみたま)は、和霊(にぎみたま)とともに、人や社会を含む諸現象に良い影響を与えるちからの顕現の源を指すと考えられる。

高皇産霊神(たかみむしびのかみ)・神皇産霊神(かみむずびのかみ)

主な御神徳:縁結び・縁談成就・子授安産・交通安全 等

皇産霊(むすび)は「生成」という意味で、高皇産霊神・神皇産霊神は万物を生成された神様です。

神話では、まず一番最初に生まれた神様、「世界の中心」という意味の御神名の天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が生まれ、次に高皇産霊神、神皇産霊神が生まれ、世界に様々な物を作られた後、三柱の神は姿を消してしまいます。しかし、高皇産霊神・神皇産霊神はその後も世界を見守り、特に高皇産霊神は神様達の良き相談役として、アドバイスをされている姿が神話に記されています。

「生成」の神様ですので、縁結び、子授安産 等の御神徳があります。

吉備真備(きびのまきび)

主な御神徳:合格祈願 囲碁上達 等

神道では、多くの偉業を成し遂げた人を追慕するため神として祀ることがあります。吉備真備もその一柱で奈良時代に活躍した公卿であり学者です。養老元年(717)、留学生として玄防とともに唐へ渡り、17年間留学の後多くの書籍を携えて帰国、橘諸兄政権の顧問的役割を果たし、さらに阿部内親王の教育にあたり昇進、吉備朝臣の姓を賜わりましたが、藤原仲麻呂に疎まれて左遷されました。再び遣唐使として唐に渡った後、造東大寺局長官となって、仲麻呂の乱で追討に寄与しました。称徳帝崩御後の皇嗣擁立に破れ引退しました。『刪定律令』を編纂、『私教類聚』を著した人物でもあります。

國之常立神(くにのとこたちのかみ)

主な御神徳:国土安泰

 神話に、原初に成った神として登場する。「立」は顕現、現象することを意味する。月のはじめの日、「1日」を「ついたち」というのは、新しい月が現れるという語源から来る。「国のとこ(床=大地)の生成の神」「国が永久(常に)あるように現れた神」などと神名から読み取られる。

櫻井信定公(さくらいのぶさだこう) 他十五柱

主な御神徳:

櫻井松平の祖、信定公は、戦国の世に勢力拡大に尽力され、三河安城にその基盤を築かれた。
当時の世のならいで、七代目忠頼公が、28才で亡くなり、家が断絶するが、八代目忠重公の努力と徳川家康公のはからいで、お家再興がかなう。
十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移封。即ち尼崎初代の城主となる。代々の城主は文芸に優れ、中でも尼崎三代目城主忠告公は亀文と号して、「まづ霞む竈々や民の家」の一句を境内石柱に残されている。
最後の城主忠興公は、明治10年の西南戦争で敵味方区別なく戦傷者を看護され、これが世界赤十字に認められ、日本赤十字社の誕生を見るに至る。

神功皇后(じんぐうこうごう)

主な御神徳:縁結び 子授安産 家内安全 長寿 等

神宮皇后は智仁勇にすぐれた人物で、そのご活躍振りが後世にも伝わって、神様として人々から尊敬されています。
仲哀天皇(第十四代)とご結婚され、神功皇后と称されるようになり、仲哀天皇崩御の後を引き継がれ、国の平定に努められました。
国内を混乱させようと企む新羅へと進攻し、新羅軍は上陸軍の偉容に恐れ、戦わずして降伏させてしまいました。その後、軍勢をまとめ筑紫(九州)へ戻った時に誉田別命(応神天皇)をご出産されたのです。
誉田別命を皇太子にされて御自らは摂政となられ国を治め、100歳の長寿を全うされたと『日本書紀』に記されています。

菅原道真(すがわらのみちざね)

主な御神徳:合格祈願 無実の罪に泣く人を助ける神 等

平安初期の学者であり政治家。詩歌に巧みで、宇多天皇の信任を得たことにより政治に関わりました。
蔵人頭、左中弁と進み、昌泰2年(899)に左大臣となりますが、右大臣藤原時平の讒言により失脚、大宰府に左遷され、延喜3年(903)同地で病歿しました。その後、朝廷や藤原氏に災厄が続き、道真の怨霊によるものとされたため、正暦4年(993)正一位太政大臣を贈り慰霊し、天満大神として祀られました。菅原道真を祀る天神社は、廟所である太宰府天満宮や、巫女の多治比奇子に「北の地に我を祀るように」という天神道真の託宣があったということに端を発する北野天満宮の他、配所への移動途上の故地などにも創建され、全国に約1万5千社あります。大宰府左遷の命が下る日の朝に詠んだという「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花、あるじなしとて春なわすれそ」の歌で知られるように、梅の花をこよなく愛した道真を偲び、境内に梅の木が植えられているところが多いようです。

須佐之男命(すさのおのみこと)

主な御神徳:厄除開運 家内安全 産業発展 縁結び 子授安産 等

須佐之男命は、『古事記』では「須佐之男命」、『日本書紀』では「素戔嗚尊」と表記されており、『古事記』に「伊邪那岐大神、御鼻を洗い給いし時に生りませる神」とあり、天照大神の弟神として語られています。
尼崎には須佐之男命(素戔嗚尊)をお祀りする「スサノオ社」は多く、市内66社の内25社もあります。
高天原に居られた頃は、手の付けられない暴れ者で、天照大神を困らせ、高天原を追放されてしまいますが、その後大きくご成長され、ご活躍されました。
特に川の化身である「八岐の大蛇」を退治され、「櫛稲田姫」という美しい稲・田んぼを表す女神様と結ばれた神話のストーリーから、治水、農業と開拓の神様として市内各地でおまつりされています。
櫛稲田姫と結ばれ、山陰出雲の地に宮居を営まれたとき、「八雲起つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」という歌を詠まれています。

たかおかみのかみ

主な御神徳: 等


湍津姫命(たぎつひめのみこと)・宗像大神

主な御神徳:交通安全・五穀豊穣・芸事上達・安産 等

交通の守り神として有名な神さまです。市杵島姫(いちきしまひめ)命、田心姫(たぎりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命三柱(神さまの助数詞は柱)の女神さまは、天照大神と須佐男命の「うけひ」のとき成りました神さまです。日本書紀に「道の中に降りいまして、天孫を助けまつり、天孫のために所祭(いつかれ)よ」「名を道主貴(みちぬしむち)ともうす」とあります。

武甕槌神(たけみかづちのかみ)

主な御神徳:勝運 農業・産業発展 交通安全 等

伊邪那岐命の御子で、「武」は猛々しく勇ましい様を表し、「甕槌」は神鳴りを表しています。
天照大神が前後二回にわたり豊葦原瑞穂の国(日本)統一のために特使を派遣されたが、二回とも失敗に終わり、三回目の特使として選ばれたのが武甕槌神である。
武甕槌神は大国主命とその御子、事代主神との交渉を成功され、さらにもう一人の御子 建御名方命(たけみなかたのみこと)との力競べにもお勝ちになり、見事国譲りの大業を成し遂げられた。
そのご活躍から、武勇・戦勝・勝運の神としての信仰のほか、その業績から開拓・平和外交の神としても崇められています。

田心姫命(たごりひめのみこと)・宗像大神

主な御神徳:交通安全・五穀豊穣・芸事上達・安産 等

交通の守り神として有名な神さまです。市杵島姫(いちきしまひめ)命、田心姫(たぎりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命三柱(神さまの助数詞は柱)の女神さまは、天照大神と須佐男命の「うけひ」のとき成りました神さまです。日本書紀に「道の中に降りいまして、天孫を助けまつり、天孫のために所祭(いつかれ)よ」「名を道主貴(みちぬしむち)ともうす」とあります。

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

主な御神徳: 安産・縁結び・厄除開運

名義は、玉は神霊、依は憑ることで、神霊が憑りつく女性、つまり巫女のことです。
古事記によれば豊玉毘売が出産時の八尋和邇(鮫)の姿を夫の火遠理命に見られたため恥じて海原に帰って後、玉依姫が姉神に代わってその子鵜葺草葺不合命の養育にあたり、後その鵜葺草葺不合命と婚姻して四子を生みました。その末子が初代天武天皇です。鵜葺草葺不合命とともに神武天皇の父母として、神代と人代をつなぐ重要な役割を果たした神としてお祀りする神社は数多くあります。

融大臣(とおるだいじん)

主な御神徳:

嵯峨天皇の十二男、源融公は、紫式部の「源氏物語」の主人公として有名な美男子「光源氏」のモデルとする説があります。
現在の平等院は源融公の別荘でありました。
また源融公は加茂川にほどちかい六条河原の自邸の庭に、わざわざ尼崎から海水を運ばせて「塩釜の浦」の景色をこしらえ、藻塩を焼く風雅を楽しんだと伝えられています。
その為、尼崎には源融公が汐を汲んだ故地としての伝承が残されています。

鳥之磐楠船命(とりのいわくすぶねのみこと)

主な御神徳: 等


火産霊神(ほむすびのかみ)

主な御神徳:金運・招福・火防 等

火の神。『日本書紀』一書に「伊弉冉尊(いざなみのみこと)、火産霊を生みたまふ時に、子の為に焦かれて神退(かむさ)りましき。」とある。母神がこの御子神をお生みのとき、まさに御子のために死んだ。火の起源神話であり、その意のままにならぬ大きなちからを暗示させる。
  着目すべきは「産霊(むすび)」。日本の神話はユダヤ教をはじめとする一神教の、造物主の意志により「世界」を「つくる」型の神話に対して、「なる」型の神話とされる。「むすび」とは、「ひ=霊 いのち」の「むす=生成」状態を表す。諸現象はおのずからに生成する。これを「なる」と言う。人間の「つくる」作業は「なった」ものの組み合わせだ。

八重事代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)

主な御神徳:商売繁盛 厄除開運 金運 豊漁祈願 縁結び 等

 ご神名の由来は「事を知る神」つまり正邪を判断する能力に優れているという意味があります。
事代主命は須佐之男命を祖とし、大国主命を父にもち、出雲の国を大国主命の後を引き継がれ、治めておられました。
そこへ高天原の天照大神が、武甕槌神に豊葦原瑞穂の国(日本)に蔓延る悪神を鎮め、国土を天照大神の御子が治めることができるようにしなさいとご命令され、 武甕槌神が大国主命と相談するために出雲の国へ降りられますが、大国主命は「息子の事代主神に政治を任せているので、事代主神に相談してみなさい」とお話されます。
ところが事代主神は美保の岬へ魚を釣りに行ったままお戻りにならないので、急使を立てて連れ戻され、交渉の次第を告げると、事代主神は「この国土は天神の御子に捧げなさい」と即座に判断された。
その後、天照大神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に国を譲り、事代主神は海事に従事し、好きな漁をして余生を過ごされた。
画や像にヱビスさまが釣竿を持ち、鯛を抱えているのは、この神話のストーリーの影響を強く受けている。