塚口神社 (つかぐちじんじゃ)

主祭神 須佐男命(すさのおのみこと)

例祭日 10月18日または直前の日曜日

鎮座地 塚口本町2丁目11-28(TEL 06-6421-9607)

≪お社の説明・御由緒≫

創祀はあきらかでないが、天平年間に行基菩薩がこの地を巡錫のおり、守護神としてお祀りされたのが創めと伝えられる。現在の御社殿は、昭和48年に新築したもので、屋根は銅板葺とし、千木・勝男木・千鳥破風・拝殿唐破風造である。旧本殿の棟札は神社神職無住時代に紛失してありませんでしたが、幸い屋根鬼瓦には宝永2年(1705)の銘がありました(鬼瓦は現存せず)。なお当社所蔵の狛犬は寛政2年(1790)、石燈籠は天保7年(1836)の年記を刻んでいる。旧本殿は現在の本殿に向かって右側に稲荷社として現存しております。

社地内には、南東に面した本殿の他に弊殿・拝殿・稲荷社殿・五社神社殿・手力男神社を祀っております。当社は以前、塚口須佐男神社といい、「スサノオ社」のひとつでもある。

宮司さんのおはなし
桜の季節には、参道の10本もの桜がアーチをつくり大変華やかです。

桜並木稲荷社

昆陽川の魚

神社の東を流れる河を「昆陽川」と言い、この河に終戦(昭和20年)前までは、フナによく似た魚で、魚体の両面がコゲ茶のマダラの魚がいました。これを土地の人は行基さんと云って食用にせず、釣上げてもすぐはなしてやりました。これは行基菩薩様が、この地方の一民家に立ち寄られた時、農民がこの魚を焼いて食べようとしていました。行基菩薩様は、その魚を可哀想に思われ、その焼いた魚を農民から買い受け、早々に水に放してやると、不思議やその魚は元のように生き返り、スイスイと泳ぎだしだました。このご高徳を今の世に至っても土地の人は大切にしていましたが、いつのまにか工場の悪水が流れ、今では一匹の魚もいなくなりました。

母の思いがクモの糸に!

  参道入口に鳥居があります。その左右に約4メートルはあるでしょうか、立派な献灯台があるのが目につきます献灯台にまつわるお話です。神社の近くに鴻池町(現伊丹)出身の薬問屋を営む武田武兵衛とその母が住んでいました。この年、西郷隆盛ら明治維新政府に対して反乱が勃発、西南戦争が始まりました。武兵衛は官軍として参戦したのです。戦地へ息子を送り出した母親は、毎日毎日心配でなりません。そこで塚口神社で息子の無事を祈ってお百度参りを始めました。その頃、官軍は次第に兵力を増し、勝利目前となりました。ところが武田少尉(武兵衛)は、雨が降る田原坂での白兵戦で、肩と腹に銃弾を受け、谷底へ落ちてしまいました。その時、武兵衛は幼い頃蓬川で魚を捕ったこと、武庫川の桜を母と見に行ったことなど、楽しい思い出が走馬灯のように過ぎ去りました。そして、深い井戸の奥へ渦巻きの風に乗って、心地よく吸い込まれたとき腰のあたりに痛みをおぼえました。見るとクモの糸が巻きついており、さらに上を見ると、母親と白衣の武将が糸をたぐり寄せているではありませんか。武兵衛はここで、「母さんクモの糸を離してください。苦しいですから」と頼みました。ところが「武兵衛、母のお願いだから、糸を切らないで…。離すとお前は死んでしまうのだよ」と一生懸命手を動かしながら、母親は泣いていたそうです。そんな不思議な事があってから、元気になった武兵衛が凱旋しました。ちょうどその日母親がお百度参りした満願の日だったのです。武兵衛と母親は手を取り合って喜び、塚口神社へお礼のお参りをしたと云われております。大きく、立派な献灯台は後に、母親の遺言によって明治19年1月吉辰に奉納、建立されたものとつたえられています。母の思いが神に届き、クモの糸となったのです。

塚口神社 例祭 (宵宮10月17日・例祭10月18日 18日が日曜でない場合は直前の日曜日)

宵宮:10月17日 午後9時 だんじり宮入り

本宮:10月18日 午前10時 祭典後だんじり出発

旧町(東町・北町・清水町・南町・宮ノ町)の太鼓・だんじりが宵宮より氏子地域を練り、午後9時頃、神社境内に宮入りします。

本宮は午前10時祭典後、境内に止めておいた太鼓・だんじりが氏子地域へと出発していきます。

交通案内

塚口神社交通案内

鎮座地:塚口本町2丁目11-28(TEL 06-6421-9607)

阪急塚口駅下車、伊丹線に沿って北へ徒歩7・8分
駐車場:有り(但し例祭時は駐車不可能)


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